現在、国立西洋美術館に展示されている松方コレクション。
それは、第一次世界大戦後に実業家、松方幸次郎氏が
日本に西洋美術を紹介するべく、ヨーロッパで蒐集した膨大なコレクションの一部でしかないらしい。

この上下巻からなる超大作は、
そのコレクションをめぐって、第二次世界大戦中に日本、フランス、ドイツにわたり、
繰り広げられた激しい争奪戦と、芸術を愛する人々の物語本

武力で占領した国や地域の資産家から、財産を徴収・・・強奪?
していくのは、戦争の度、繰り返される光景。
この財産の中で、金品ではない美術品にもすさまじい執着を見せるのがヨーロッパの特徴のよう。
この作品の中でも、松方コレクションの管理をまかされた、元日本海軍将校(日置釭三郎)も
なぜ、絵ごときにこんな必死になるのかと、最初は理解できないでいた。

松方氏の「日本に西洋美術館をつくりたい」 という意思はかなり固く、
モネもロダンもその情熱にほだされて作品を任せた。
多額の金額を提示したからというだけではなかった。

コルビジェが設計した上野の森の国立西洋美術館の前庭には、
ロダンの有名な考える人が見下ろす「地獄の門」がある。
この「地獄の門」に強く影響を受けたクリムト。
クリムトの弟子とされるエゴン・シーレ。
ヒトラーは彼らの作品を憎んだ。
古典絵画を蒐集する一方で、ロダン、ピカソ、ゴッホ、クリムト、シーレの作品は破壊するように命じ続けた。
ドイツ帝国に悪い影響を与えるものでしかないと。


もう、かなり前だけど、ヒトラーの描いたらしい絵がオークションに出されたことがあった。
ヒトラーが画家志望だったのは有名だけど、
批評家はつまらない絵だと言っていた。
独裁者にならなければ、オークションになどで話題になることもない作品だと。
その絵にまつわるテレビ番組で、
ヒトラーが美術学校の受験に失敗した年の合格者の中に
エゴン・シーレがいたと紹介していた。

シーレには学校なんて必要なかったはず。
実際、途中で自主退学しているし、それでも有名な画家になった。
一方、ヒトラーはたまらなく入学したかったはずだ。
2年も続けて受験して失敗しているのだから・・・。
入学さえ果たしていたら、ナチスドイツを率いるなんてことはなかったのかしら?
歴史は大きく変わったのかなぁ・・・と思ったのを覚えてる。

この本では、わたしのささやかな想像を凌駕して、
実はウィーン時代、ヒトラーとシーレは親友だったという設定で描かれている。
ヒトラーの分離派嫌いは芸術的価値を認めなかったのではなく、
個人的な嫉妬と挫折の絡み合った結果なのだと。
手塚治虫の「アドルフに告ぐ」と同様に、
ヒトラーがユダヤ人の血を引いているという説も取っている。
このヒトラーの「屈折の青春」がこの物語の大きな核になってると思う。
ヒトラーとシーレの関係に興味を持っていたわたしには、
おもしろすぎる展開!(@@)

第二次大戦終了時には、敗戦を認めざるえなくなったヒトラーは
ドイツ国内にある各地から蒐集した美術品を爆破する命令を出す。
他人の手に渡ってしまう宝なら、自ら破壊してしまえ・・・という幼稚な考えだ。
実際、多くの芸術品が被害にあった。
でも、岩塩の採掘トンネルの隠された美術工芸品は難をのがれて、
ナチスに接収される前の持ち主の元に返され、
今も世界中の美術館で見られる。


芸術が人にもたらすものは大きいけど、
芸術に見捨てられたことで、戦争に駆り立てられた人間もいたなんて・・・悲しい悲しい
そして、戦争なんて、ほんとになにも生み出さないよね。