明治29年(1896年)、岩手県花巻に生まれた宮沢賢治は、昭和8年(1933年)に亡くなるまで、主に東京と花巻を行き来しながら多数の詩や童話を創作した。

賢治の生家は祖父の代から富裕な質屋であり、長男である彼は本来なら家を継ぐ立場だが、賢治は学問の道を進み、後には教師や技師として地元に貢献しながら、創作に情熱を注ぎ続けた。

地元の名士であり、熱心な浄土真宗信者でもあった賢治の父・政次郎は、このユニークな息子をいかに育て上げたのか。

父の信念とは異なる信仰への目覚めや最愛の妹トシとの死別など、決して長くはないが紆余曲折に満ちた宮沢賢治の生涯を、父・政次郎の視点から描く

第158回直木賞受賞作品


有り余るほどの愛情で自己犠牲も厭わない。優れた実業家であり経済的に子供の将来の可能性を支え続けた父親。
それでも明治の男がそうなのか、子供への愛情表現はとても控えめ。
親ばかなのは確かだけど、ばかな親ではない。
長男への期待が裏切られても執着しすぎず、適性を見極め、援助している。
自分は家業のために諦めたこともたくさんあるのに。。。

父親とはこんなにたいへんなものなのか

宮沢賢治の名が広く世に知られたのは没後でも、
生前に創作に打ち込めたのはこの裕福な父親があってこそ。
短いけれど幸福な生涯。


生まれ育った場所を理想郷のイーハトーヴとして描けるなんて、
恵まれた子供時代を過ごしたからでしょう


「家康、江戸を建てる」とはまた違った感じで楽しめました